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Aokijima

80歳になった「ねえちゃ」と、その里の記録です

青木島

何回つづくかな、と思ってはじめたこのブログですが、いつの間にかもう100回近くになりました。このあたりで、ちょっとだけ装いを変えることにしました。

ねえちゃの住んでいるところは、むかし「青木島村」と呼ばれていました。もともと、犀川の南に開けた肥沃な堆積地を利用した、のどかな農村地帯でした。

樹木がよく茂る微高地で、「アオは青海原のように、あるいは鏡のような平らな水面とも解され、犀川の平坦地の流れから」村の名が付いた、といわれています。

これまでも触れてきたように、いまから500年近く前、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信がぶつかった、有名な川中島の戦いの舞台となったところでもあります。

また、北国街道、善光寺街道、松代街道などが通る青木島は、古くから交通の要衝として栄えてきました。犀川には渡し場が設けられ、船3隻、水主15人、船頭1人が松代藩によって配備されていたそうです。

渡し船は川を横断して綱を張り、船頭はその綱を手繰って客を渡しました。江戸中期には渡し賃が1瀬10文、2瀬30文、3瀬39文と定められ、番屋で船賃を払って往来していたといわれています。

これからは間口を少し広げて、ねえちゃの暮らしぶりだけでなく、川中島合戦など土地に刻まれた歴史や風土にも広く目を向けて書いていきたいと思います。ひきつづきお付きあいいただければ幸いです。