Aokijima

80歳になった「ねえちゃ」と、その里の記録です

旭山城

47年前、ねえちゃの一家が長野市に来て最初に住んだのは、市の西部、西長野地区の借家でした。スーパーやいろんなお店、小・中学校も近くにあって、とても便利で過ごしやすい街でした。

西長野には、すぐそばに、旭山(標高785m)がそびえ立っています。山頂の近くまで、しましば遊びに行ったものです。

川中島合戦のころ、ここには旭山城=写真=があって、上杉・武田両軍で激しい争奪戦が繰り広げられました。

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旭山城がいつ築城されたかはよく分かっていないようですが、天文24(1555)年、第2次川中島の戦いで、善光寺別当の栗田寛久が武田信玄と通じて、鉄砲300、弓800、兵3000の支援を受けて旭山城に籠もったとされています。

上杉謙信は、善光寺の東の横山城に陣を構え、付城として裾花川対岸の山上に葛山城を築きました。

数カ月間対陣した後、今川義元の仲介で和議が成立します。和議の条件の一つに旭山城の破壊が盛り込まれたとされています。

第3次川中島の戦いでは、弘治3(1557)年に武田軍が葛山城を襲って落城させると、雪解けを待って謙信も出陣して旭山城を再建、守兵を置きます。

永禄4(1561)年の第4次合戦では、旭山を駆け下りた守兵の援護で、武田軍の追撃を振り切ったと伝えられているそうです。